杉浦康平(1932―)は、我が国のデザイン界の巨匠として世界中から信望を集めるグラフィックデザイナーであり、またアジア図像研究の第一人者です。杉浦がスタッフと共に半世紀以上にわたって手掛けた数千点に及ぶブックデザイン作品やポスター作品、思考や制作の過程を辿るデザインプロセス資料、杉浦のデザイン哲学やアジア図像研究の源泉たる旧蔵書まで、杉浦グラフィズムを網羅する「杉浦康平デザインアーカイブ」は、グラフィックデザイン史上における傑出した作品としての評価のみならず、戦後日本の印刷文化の発展を実証する貴重な原資料でもあります。
「杉浦康平デザインアーカイブ」は、2009年に杉浦のデザイン事務所である杉浦康平プラスアイズより武蔵野美術大学 美術館・図書館へ寄贈され、以来、美術デザイン教育に寄与してきました。また、2011年に開催したブックデザイン作品を回顧する展覧会「杉浦康平・脈動する本:デザインの手法と哲学」(武蔵野美術大学美術館、2011年10月21日―12月17日)は、杉浦自ら監修と展示構成を手がけ、杉浦グラフィズムの世界を顕現した「作品」として結実しました。
そして、2021年6月。創作活動65年の節目に、緻密で難解な杉浦グラフィズムをわかりやすく紐解く「デザイン・コスモス」を公開します。宇宙空間に浮遊する杉浦作品の世界を、自由に探索し、動かし、選択し、驚き、遊び、学び、楽しむことができるこのウェブサイトは、杉浦による監修、構成、セレクションの「ヴィジュアル作品集」です。第一弾として公開するのは、杉浦が厳選したブックデザイン作品186点。全集・シリーズ(67点)、単行書(62点)、美術書・写真集・事典・辞書(57点)に分類しました。
杉浦がデザインした美術書や写真集の多くは高い専門性をもち、工夫を凝らした造本で小部数刊行されました。美術館や図書館に美術作品として収蔵・展示され、その美しさは鑑賞者に感動を与えてきました。一方、全集・シリーズや単行書、事典、辞書は一般書籍として流通し、独創的なアイデアで装われた本たちは書店棚で異彩を放ち、人々に新鮮な驚きをもたらすとともに、新しい装本文化の誕生を告げるものとなりました。刊行から時を経た現在、読者の眼に触れる機会が限られた本たちを、実際に手に取って視るような擬似的体験を可能にするために、ユーザーが自由に操作できるインタラクティブ(双方向相互作用)機能を開発しました。これは、「紙の集合体としての本の時空」を意識した杉浦のデザイン手法を三次元空間に託して提示する新しい試みです。さらに、作品を選択(クリック)することでその特徴にアプローチすることができ、杉浦をはじめ制作に携わったスタッフや関係者の手による解説テキストから、存在しなかったものを生み出してきた熱気あふれる制作の過程を、臨場感をもって読み解くことができます。また、作品に秘められたデザイン手法を立体的かつ多角的な視点から理解してもらいたいという杉浦の配慮により、作品を解体して再構成したヴィジュアル映像も組み込みました。
杉浦が探求したブックデザインは、まさに「宇宙」の具現化だったといえます。杉浦は本について、代表的著書『かたち誕生』で次のように記しています。
三次元的に広がる宇宙空間に燦然と輝く杉浦グラフィズムの世界。いまも新鮮な装幀の魅力、作品に秘められたデザイン手法と奥深い造形思考、印刷技術の限界に挑戦する情熱と先鋭のまなざしを感じとっていただけるはずです。そしてなにより、杉浦の画期的なアイデアや実験精神は次世代に受け継がれ、我々の身の回りでさまざまにかたちづくられていることに気づかされることでしょう。
武蔵野美術大学 美術館・図書館 所蔵
杉浦康平デザインアーカイブ「デザイン・コスモス」
Design Cosmos: Sugiura Kohei Design Archive
in the Collection of Musashino Art University Museum & Library
杉浦康平
村井威史(武蔵野美術大学 美術館・図書館)
村井威史+杉浦祥子
臼田捷治+杉浦康平
臼田捷治+赤崎正一+鈴木一誌+佐藤篤司+村山恒夫+十川治江+田辺澄江+米澤敬+北山理子+新保韻香+杉浦康平
杉浦康平
杉浦康平
杉浦康平+新保韻香+平岡佐知子
木村真樹
後藤哲成(Fivebit)
佐藤篤司+新保韻香
佐治康生
本岡耕平(武蔵野美術大学 美術館・図書館)
A-OTF 秀英初号明朝 Std H、AP-OTF 秀英角ゴシック金 Std B、A-OTF アンチック Std AN R、A-OTF UD新ゴ Pr6N M、A-OTF UD新ゴ Pr6N L(以上、モリサワ)
杉浦康平プラスアイズ
武蔵野美術大学 美術館・図書館
東京都小平市小川町 1-736 〒 187-8505
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In such case, every possible effort will be made to reach out to possible copyright and image rights holders, including research into their possible contact information. If this information cannot be located, Musashino Art University Museum & Library asks for the understanding of these individuals. At such time, the relevant processes will also be initiated with the arbitration system of the Ministry of Culture.
Please feel free to contact Musashino Art University Museum & Library if you have any concerns about this policy.
当サイトでは、作品のヴィジュアル(作品画像)から選ぶ「作品」インデックスと、作品に盛り込まれたデザインテクニックから選ぶ「デザイン手法」インデックスの、二通りの閲覧方法を用意しています。 | |
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「作品」インデックス作品をヴィジュアル(作品画像)から選択して閲覧するモードです。 「作品」は以下の3つのカテゴリーに分類しています。 |
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「デザイン手法」インデックス各作品に盛り込まれた「デザイン手法」の切り口から閲覧するモードです。 |
![]() ![]() 作品の詳細を見る |
ナビゲーションメニューの使い方画面中央下の丸いハンバーガーボタンをクリックすると「ナビゲーションメニュー」が表示されます。ナビゲーションメニューは、「作品」からと、「デザイン手法」からの、二通りの閲覧方法の切り替えができます。 「作品」インデックスの操作方法マウス操作で宇宙空間を自由に操作することができます。 |
![]() Space ![]() Sphere ![]() Grid ![]() 浮遊スタイル切り替えキューブ ![]() 空間リセットボール |
浮遊スタイルの切り替え宇宙空間に漂う作品の浮遊スタイルは、3タイプを用意しています。 画面の中央にある「浮遊スタイル切り替えキューブ」で浮遊スタイルを切り替えることができます。 浮遊空間のリセット「切り替えキューブ」にマウスを乗せるとキューブが開き、その中央に「空間リセットボール」が現れます。 |
背の接着面を補強するために貼り付ける布。
表紙と本文の用紙をつなぐ部分に接着される紙。「効き紙」は表紙側に貼り付ける部分、「遊び」は本文側の貼り付けていない方の部分を指す。
表紙を開いて最初に現れるページ。タイトル、出版者名、著者名などが記される。本文用紙の第1ページを本(文)扉といい、本文用紙とは別の用紙を巻頭に貼り付ける場合を別丁扉もしくは化粧扉という。
★本の部位の中でも「花布」「しおり」「見返し」は、本に彩りを与える役割もある。これは和服の半襟が装飾の目的を持つようになったのと同じように、日本人の美的感覚による我が国独自の造本美といえるものである。
杉浦康平(すぎうら・こうへい、1932年9月8日―)は、日本のグラフィックデザイナー、アジアの図像研究者、神戸芸術工科大学名誉教授、同大学アジアンデザイン研究所(RIAD)顧問。
意識領域のイメージ化で多元的なデザイン宇宙を切り開き、レコードジャケット、ポスター、ブックデザイン、雑誌デザイン、展覧会カタログデザイン、ダイアグラム、切手のデザインなどの第一線で先端的かつ独創的な活躍を展開。また、「マンダラ[出現と消滅]」展や「アジアの宇宙観」展、「花宇宙・生命樹」展など、アジアの伝統文化を展覧会企画・構成および斬新なカタログデザインで紹介するとともに、マンダラや宇宙観を中核とする自らの図像研究の成果を『かたち誕生』(日本放送出版協会、1997年)ほかの幾多の著作をとおして、精力的に追究している。
東京都に生まれる
東京藝術大学建築科卒。高島屋の宣伝部に入ったが、そのとき制作した「LP JACKET」が1956年第6回日宣美賞を受賞し、約半年で独立
東京で開催された「世界デザイン会議」にパネリストとして参加
東京オリンピック(1964年)のシンボルマーク指名コンペ6人の中に選ばれる(亀倉雄策が入選)
東京画廊のカタログデザイン始まる
「音楽会ポスターを中心とする一連のグラフィックデザイン」によって第7回毎日産業デザイン賞(現・毎日デザイン賞)受賞
ドイツ・ウルム造形大学に客員教授として招聘される(64―65年にかけて3ヶ月。66―67年にも1年間招聘される)
ロンドンICAギャラリーで開催された日本現代美術展「蛍光菊」(Florescent Chrysanthemum)の会場構成、アートディレクション
東京造形大学視覚デザイン科で教鞭をとる
第4回造本装幀コンクールで最高賞の文部大臣賞受賞(『日本産魚類脳図譜』築地書館)
第5回造本装幀コンクールで文部大臣賞を連続受賞(『雲根志』築地書館)
第2回講談社出版文化賞ブックデザイン賞受賞(『闇のなかの黒い馬』河出書房新社)
第8回造本装幀コンクールで3度目の文部大臣賞受賞(『日夏耿之介全集』河出書房新社)
ユネスコ・東京出版センター(現・ユネスコ・アジア文化センター)から依頼を受け、アジア活字開発調査のため、タイ、インド、インドネシアなどアジア諸国を初めて訪問
NHKの委嘱で、イタリア賞参加映像作品「In Motion」を作曲家・武満徹と共同制作(主演はツトム・ヤマシタ)
第12回造本装幀コンクールで4度目となる文部大臣賞受賞(『教王護国寺蔵 伝真言院両界曼荼羅』平凡社)
パリ装飾美術館で開かれた「間=MA」展にポスター・カタログデザインで参加(企画構成=磯崎新ほか)
「京劇」訪日公演で、斬新なスタイルを取り入れたポスター・カタログをデザイン
高野山大学と毎日新聞社のラダック仏教美術調査・取材隊に同行し、その成果は「マンダラ[出現と消滅]」展の企画構成に結実(西武美術館、毎日新聞社ほか主催)
「熱きアジアの仮面」展(国際交流基金ほか)、インド仮面舞踏「神々の跳梁」などを展示構成・デザイン
「アジアの宇宙観」展(国際交流基金)を企画構成
ブータン王国切手デザインの依頼を受け、同国を取材旅行
文化庁芸術選奨新人賞受賞
ライプツィヒ装幀コンクール特別名誉賞受賞(『教王護国寺蔵 伝真言院両界曼荼羅』)
インドIIT, IDC(インド工科大学産業デザイン研究所)においてデザイン・ワークショップ開催
神戸芸術工科大学視覚情報デザイン学科教授に就任(―2002年)
インド古典音楽「ラーガ・香絃花」コンサートを企画
「ハーモニック・クワイア」コンサートを企画・構成
「花宇宙・生命樹」展企画・構成とカタログデザイン(国際交流基金ほか主催)
毎日芸術賞受賞(毎日新聞社)
紫綬褒章を受章
韓国ソウルでのICOGRADAで講演「手のなかの宇宙」
名古屋でのICOGRADAで講演「宇宙を叩く」
雑誌デザインの集大成「疾風迅雷:杉浦康平の雑誌デザイン半世紀」展開催(東京、ギンザ・グラフィック・ギャラリーほか)とその作品集デザイン(DNPグラフィックデザイン・アーカイブ発行)。「疾風迅雷」展は2005年に韓国のパジュ、2006年に中国の北京、深圳、2007年以降、南京、成都ほか中国各地を巡回
第5回織部賞受賞(岐阜県主催)
高野山大学の委嘱で、5面の大スクリーンによる映像作品「法界宇宙」を制作
「マンダラ発光:杉浦康平のマンダラ造本宇宙」展開催(クリエイティブワールドライブ2007実行委員会、東京国際フォーラム)とその作品集デザイン
第28回中島健蔵賞特別賞受賞(現代音楽への貢献)
中国・北京でのICOGRADAで講演「一即二即多即一」
第7回竹尾賞審査員特別賞(デザイン書籍部門)受賞
神戸芸術工科大学アジアンデザイン(RIAD)所長に就任
神戸芸術工科大学アジアンデザイン研究所第1回国際シンポジウム「動く山・山車——あの世とこの世を結ぶもの」を企画・開催
ブックデザインの集大成「杉浦康平・脈動する本:デザインの手法と哲学」展開催(武蔵野美術大学 美術館•図書館)とその作品集デザイン
神戸芸術工科大学アジアンデザイン研究所第2回国際シンポジウム「送る舟・飾る船:アジア〈舟山車〉の多様性」を企画・開催
『時間のヒダ、空間のシワ・・・[時間地図]の試み:杉浦康平ダイアグラム・コレクション』を刊行(鹿島出版会)
香港デザインセンター(HKDC)功労賞受賞
神戸芸術工科大学アジアンデザイン研究所第3回国際シンポジウム「魂を運ぶ聖獣の山車」を企画・開催
旭日小綬章受章
「諸井誠+黛敏郎+武満徹 電子音楽 ミュージックコンクレート作品集」
「武満徹の作品」1—4
「ピアノ・コスモス:現代日本ピアノ曲1960―1969」(昭和44年度芸術祭参加)
「諸井誠、黛敏郎、武満徹ほか=日本の電子音楽」
「WERGO現代音楽シリーズ」
「西村朗作品集シリーズ」
「ストラヴィンスキー特別演奏会」
「第1回東京現代音楽祭1960」
「第8回東京国際版画ビエンナーレ展」
「間」展
「中国京劇院訪日公演」
「国立歴史民俗博物館開館記念」
「伝統と現代技術:日本のグラフィックデザイナー12人展」
「富山県[立山博物館]開館記念」
「花宇宙・生命樹」
「江差追分」(北海道江差町)
『音楽芸術』(―63年、音楽之友社)
『SD』(―68年、鹿島出版会)
『都市住宅』(―70年、鹿島出版会)
『パイデイア』(―72年、竹内書店)
『季刊銀花』(―2002年、文化出版局)
オブジェマガジン『遊』(―79年、工作舎)
『a+u:建築と都市』(エー・アンド・ユー)
『ASIAN CULTURE』(―87年、ユネスコ・アジア文化センター)
『エピステーメー』(第Ⅰ期1975―79年、第Ⅱ期1984―86年、朝日出版社)
岩田慶治+杉浦康平編『アジアの宇宙観』(講談社)
中川幸夫『魔の山』(求龍堂)
オーディオテクニカ
『都市住宅』(雑誌名ロゴ)
上野動物園
『a+u』(雑誌名ロゴ)
多摩動物公園
八重洲ブックセンター
国立歴史民俗博物館
本多劇場
富山県[立山博物館]
「これが日本の国力だ」(『週刊朝日』)
「どこの都市が住みよいか」時間軸変形地図(『週刊朝日』)
「時間軸地球儀」(『朝日新聞』)
「犬地図」(『遊』6号掲載、工作舎)
『平凡社百科年鑑』ダイアグラム(―78年、平凡社)
「まるくない地球」ジオイド地球儀(『朝日新聞』)
「四大料理の味覚地図」(『週刊朝日百科 世界の食べ物』の「目で見る世界の食文化」)
西ドイツ政府発行「札幌冬季オリンピック」
「ブータン王国記念切手」(捧げもの、仮面舞踊、マンダラ、宗教儀礼楽器の4シリーズ)
世界デザイン博覧会記念切手
「In Motion」武満徹(作曲家)と共同制作(NHKイタリア賞参加作品)
「法界宇宙」高野山大学 松下講堂の5面スクリーン上映のための作品
「ブックデザイン小宇宙」杉浦のブックデザイン紹介のための映像作品群(協力=新保韻香+栄元正博)
「わたしのデザイン探検」全4回(NHK女性手帖)
「かたち誕生」全12回(NHK人間大学)
杉浦康平の活動は1950年代後半に始まる。当時は「商業デザイン」という名称が定着していたように、アドヴァタイジングがデザイン表現の主流だった。それに対して杉浦ら20代後半の新世代は、文化活動を主題にしたヴィジュアルデザインの鉱脈を果敢に掘り起こしたのである。
その旗手としてリーダシップを遺憾なく発揮したのが杉浦であり、わが国の旧弊なデザイン風土に新風を送り込むことになる。膨大な数にのぼるブックデザインと“柔らかい地図”という新機軸を打ち出した「時間軸変形地図」をはじめとするダイアグラム(インフォグラフィックス)がその双璧だ。後者の「地図」の作品群は、ダイアグラムをヴィジュアルコミュニケーション・デザインの一翼を担う存在としてわが国に定着させるうえで重要な布石となった。
杉浦の際だったクリエイティビティのバックグラウンドに、東京藝術大学で建築を学んだことと、少年時からの音楽への格別の関心がある。総合芸術である建築を学んだことは、〈内から〉の三次元的で理知的なデザイン思考をはぐくむことに。また、あのパウル・クレーを彷彿させずにはおかない秀でた音楽的感性は、若手の登竜門であった日宣美展(日本宣伝美術会主催、1956年)でグランプリ「日宣美賞」を受賞した「LP JACKET」をはじめ、「ストラヴィンスキー特別演奏会」、「第1回東京現代音楽祭1960」ほかの音楽関連ポスターおよびレコードジャケットなどに多くの清新な世界を結晶させる。
そして、1960年代中頃の西ドイツ・ウルム造形大学での二度にわたる指導体験を経て、自らの血脈に宿るアジア的美意識を喚起された杉浦は、“表紙は顔である”とする独自の東洋的ともいえるコンセプトにもとづいて、目次や記事内容と響き合う表紙デザインを雑誌で試みる。『SD』『都市住宅』や『季刊銀花』が代表例である。
雑誌に続いて、1970年代より縦組による明朝体活字の美しさを引き出すブックデザインを本格的に展開。くわえて、書物の三次元性を踏まえ、外回りだけの意匠ではなく、本文組を起点とするトータルで理路をきわめる造本設計を進め、同時代デザイナーの指標となる方法論を次々と切り開くとともに、折からの日本社会のブックデザインへの関心の高まりを牽引する。図像とテキスト群を全ページ白抜きで配した『全宇宙誌』や、壮麗な伽藍のような重層的構造をそなえる『伝真言院両界曼荼羅』はその白眉である。
グラフィックデザインの華とされるポスター制作の点数は少なくなるものの、それでも「第8回東京国際版画ビエンナーレ」や「伝統と現代技術:日本のグラフィックデザイナー12人展」など、印刷システムに精通した杉浦ならではといってよい、特異な製版技術を駆使した意欲作を機会あるごとに発表していることは注目される。
上記した音楽的感性は、流動し、転調を繰り返しながらも互いに照応するかたちへの鋭い眼差しへと結びつく。“視知覚の則“を見極めようとする古今東西の各種図像への傾倒、なかんずく1970年代半ば以降に本格化する、マンダラをはじめとするアジアの図像群がはらむイコノロジーへの、破格のスケールをともなう精査探究がそれだ。もとよりウルムで体験した、東洋と西洋の間の価値観の齟齬(そご)への認識と、1972年に始まるインドほかのアジア諸国取材旅行で得た知見の広がりもあずかっており、アジアの宇宙観、知覚論、文字論、ノイズを含む音楽論……へとさらなる深化を遂げてきた。そして近年は「多主語的なアジア」をキーワードとして、思考の新しい道をひらいている。また、「一即二、多即一」という東洋的語法で、自らの造形思考を要約している。欧米の厳密な二進法的世界観とは異なる、数えきれないほどの〈幽かなる存在〉が宇宙の森羅万象を満たしているという固有の根源への洞察である。
このような一連の探究成果は、松岡正剛との共著『ヴィジュアルコミュニケーション』や、自著『日本のかたち・アジアのカタチ』を嚆矢(こうし)として『宇宙を叩く』に至る「万物照応劇場」シリーズ全5冊などの幾多の著作(共著を含む)の、奔流のような刊行へと結実している。
1970年―80年代には、これら著作とともに企画構成した展覧会・公演カタログ、ポスター、関連書には、アジア固有の世界観が、1978年の「京劇」を始めとして、独特の形や色彩、それに伝統的なタイポグラフィの裏付けという類いないデザイン手法を伴って映し出されており、国内外の多くのクリエイターに影響を与え続けている。
同時に、アジアに目を向けた写真家(加藤敬、管洋志ほか)の作品集の編集・構成、展覧会デザインを積極的に行っている。とりわけ、加藤がアジア伝統美術の精華というべき西チベット・ラダック地方のマンダラを撮影した成果である「マンダラ[出現と消滅]」展(1980年、西武美術館、毎日新聞社ほか主催)は、杉浦が現地への調査・取材隊に同行するとともに、同展の企画構成に当たったものであり、格別の反響を呼んだ。同じアジア関連では、国際交流基金とタッグを組んだ企画構成展が、1981年の「熱きアジアの仮面」展ほか幾多にのぼる。
杉浦独自の活動は国際的にも注目され、ヨーロッパを含むグローバルな広がりを見せるようになった。そして、講演や展覧会企画構成をとおしてアジア各地(インド、韓国、台湾、中国ほか)のクリエイターとの密接な交流を深めている。私たちの文化の〈共通する根〉への熱いまなざしは、心あるアジアの精鋭たちの共感を呼び、杉浦は彼らを結び合わす精神的支柱となっていることを銘記したい。
1987年の神戸芸術工科大学開学と同時に、杉浦は同大学視覚情報デザイン学科教授に就任した。1968年に東京造形大学で教鞭をとって以来、約20年ぶりの教育現場への復帰である。注目したいのは、アジアの多様な文化遺産への深い親和を踏まえた指導と並行して、ジャンル間の壁を軽々と越境する識者を招いたレクチャーを行ったこと。その成果は「神戸芸術工科大学レクチャーシリーズ」として、『円相の芸術工学』から『表象の芸術工学』までの5冊の刊行につながった。たとえば『円相の……』では、杉浦に加えて情報論、禅哲学、文化人類学、東洋思想などの泰斗が登壇するという、デザイン教育の常識を破る並びないスケールの大きさ。こうした開けた指導が実って、現に留学生を含む多くの修了生がアジア各地で独自の文化活動にいそしんでいるのである。
続いて2010年に同大に「アジアンデザイン研究所」(RIAD)を設立し、初代所長に就任。「豊穣なアジアの文化遺産に眼を向け、未来に役立つデザイン語法の探究を、若い人びとを交え推進すること……」を理念に掲げてのスタートだった。その具現を目指し、杉浦は国際シンポジウムを企画し、3度にわたって開催した。自らも参加したシンポジウムの記録集が2冊。『動く山・アジアの山車』と『靈獣が運ぶ・アジアの山車』である。このように、音楽の世界でいうとピアニストと指揮者を兼ねる立場と同じく、自ら多様な視点を創出するとともに、その架け橋となって豊かな沃野への導き手となってきた。教育者としても強烈な熱意を余すことなく発揮してきたのである。
この間、雑誌の仕事を集大成する「疾風迅雷:雑誌デザインの半世紀」展、造本では「脈動する本:デザインの手法と哲学」展を開催。あまたの独創的な手法に彩られ、圧倒的な熱量を誇る作品群は衝撃をもって迎えられた。それぞれの充実した作品集づくりとともに……。杉浦の重要なデザイン・ジャンルである各種ダイアグラム(インフォグラフィックス)も『時間のヒダ、空間のシワ・・・[時間地図]の試み』と『表裏異軆:杉浦康平の両面印刷ポスターとインフォグラフィックス』にまとめられている。さらに、1960年代からの既発表テキストを精選し、多岐にわたるアジアの世界観を表象する豊富な図像を交えて構成する「デザインの言葉」シリーズが、第1弾の『多主語的なアジア』に始まって計4冊の刊行に及んでいる。
近年では太極図を立体化した「太極球」を提示したことを特記したい。陰陽の二元からなり、自然や万物の理の根拠となる古来の太極図は平面だが、「三次元空間に浮上する平面投影ではないか」とする、逆転の発想からの立体への変容に目を見張る。最新の3D技術を援用し、刻々と変幻する太極球は、原初の命を胚胎する、妖しいまでの艶かしさをたたえており、エレガントな冊子『太極球・誕生』(神戸芸術工科大学アジアンデザイン研究所太極球プロジェクトチームほか)として顕現した。
才知を礎とする杉浦の〈動体視力〉の凄み……。発見と創造を繰り返す歩みは揺るぎない。